今季のミランについて③ 〜イグアイン問題〜

今季のミランについて、年末連載形式で書いています。

第1回はガットゥーゾミランにおけるシステム論について、第2回はガットゥーゾの選手起用について書きました。今回はその選手起用とかぶってくるのですが、イグアイン問題について。

イグアインという選手

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もともと個人的にはあまり好きな選手ではありませんが、イグアインという選手はもちろん優れたストライカーで、近年の成績だけでいえば中堅クラブであるミランに加入するというのは驚きだったかもしれません。セリエAではナポリでもユベントスでもそれなりにゴールを決めている実力者です。しかし、そのプレースタイルはエリア内で勝負したり、ゴール前で待つタイプではありません。ポストプレーなどもある程度こなしますが、ユベントス時代はディバラと2トップで出場して、イグアインがボールを受けに下がってくる動きとディバラがバイタルエリアで自由にプレーする動きが絶妙に合わず、またメンタル含めたコンディションの管理があまりできず調子に波があり、ボールを受けに下がってきて、そこでボールロストするなんてシーンもよくありました。それでもあれだけ点を取れていたのは、チームの力もありますが、その決定力の高さがあったからでしょう。

イグアインへの不満

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以前なにかの記事で試合中のイグアインの態度に関して不満を漏らしたことがありましたが、それが最悪な形で多くのミラニスタに認知されたのがユベントス戦の退場劇とその後の態度でした。中にはイグアインに同情する声もありましたが、ロナウドに激怒したのは退場となってからのシーン。退場になったのはただのファールとそれに対する過剰な抗議(これは毎試合やっている)によるもの。ユベントスから追い出された経緯からメンタル面で問題があったのだろうという言説も、もちろんナーバスになるのは理解できますが、言ってしまえばチーム強化のために、もともとそのチームで活躍していた選手が追い出されるのはよくある話。私的には擁護の余地は一切ありません。そして最も不快に感じたのは、あの退場劇があった後のデュドランジュ戦でのパフォーマンス、あるいはその態度。あの退場劇でチームに迷惑をかけたのは事実。その直後の試合くらいはしっかりとやる気を出してプレーするのかと思いきや、最低レベルのふざけたプレーに終始。もうこの時点でイグアインに対する不満は最高潮でした。

ガットゥーゾの起用法なのか

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そのデュドランジュ戦後の会見や、その後のパフォーマンスの悪い試合後の会見(その後パフォーマンスが良かった試合は1試合もないが)で、ガットゥーゾは必ず「イグアインは軽い怪我をしていて本来のパフォーマンスではなかった」というような発言をしていますが、それならなぜ休ませるという選択肢がないのか。約2か月間もパフォーマンスの悪いイグアインをスタメンから外してみるという決断ができないのか。選手管理の意識がとてもプロとは思えない。試合の中でパフォーマンスの悪いイグアインを途中で下げずにクトローネを下げたことに対してガットゥーゾは「クトローネを下げたのは間違いだった」と言っていましたが、ガットゥーゾはいつも、そうした要素の一部分だけ自分のミスだと主張して、チーム全体の出来は「全員で反省しなければならない」という姿勢でいます。チーム全体のことは自分はノータッチで放置しているから、自分の責任があるということが認識できないのでしょうか。

イグアインとクトローネの可能性

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前回も触れましたが、私はイグアインとクトローネの特徴的にこのコンビはがっちりハマると考えていました。しかし、選手を配置するだけのチームではそのコンビネーションの向上はなく、イグアインもパフォーマンスが悪く、そんなチーム状態でクトローネのような若手が大きく伸びることもなく・・・。今のミランにおいて、唯一可能性を感じるところまで、希望を見いだせなくなりました。

 

今回はここまで。今のミランは、あらゆることに関して論理的な整合性が取れておらず、メディアの報道等も含めて、とても虚構的だと感じます。今のミランに、大きな情熱を保ち続けることは難しくなっており、また順位的にはそこまで悪くないのが、いろいろと面倒な状況にさせている気がします。もう、そろそろいいのでは。